エリトリア旅行記 〜知られざるアフリカの秘宝〜

旅行・観光

序章:秘境への道

「エリトリアに行ってきた」と言うと、たいていの人は「どこそれ?」という顔をする。アフリカ東部の紅海沿いに位置し、エチオピアやスーダンと国境を接するこの国は、長い間旅行者にとって未知の土地だった。ビザの取得も難しく、情報も乏しいため、まるで“禁断の国”のような存在だ。しかし、足を踏み入れた瞬間、そんな先入観は吹き飛んだ。

アスマラ:イタリアの影が残る都市

首都アスマラは、標高約2,300mの高地にあり、空港を降りた瞬間、アフリカとは思えない涼しい空気が迎えてくれた。驚いたのはその街並みだ。1930年代のイタリア統治時代の建築がそのまま残り、まるで時間が止まったかのよう。アール・デコ様式のカフェ、円形劇場、ベスパ(イタリア製のスクーター)が行き交う通りは、「小さなローマ」と呼ばれるのも納得だった。

とりわけ印象的だったのが、「フィアット・タリアン」という名のガソリンスタンド。まるでSF映画に出てきそうな未来的なデザインで、1938年に建てられたものが今も現役で使われている。店員と話してみると、「これはアスマラの宝だよ!」と誇らしげに語ってくれた。

地元のカフェでエリトリア名物の「ブナ(エチオピア風コーヒー)」を飲みながら、イタリア人オーナーが営むピザ屋で本格的なマルゲリータを食べる――そんな不思議な体験ができるのもアスマラならではだ。

マッサワ:紅海の忘れられた楽園

アスマラから車で4時間ほど走ると、紅海沿岸の港町マッサワに到着する。ここは、まるで別の世界だった。灼熱の太陽の下、オスマン帝国時代の影響を受けたアラビアンな建築が並び、アスマラとは全く違う風景が広がっていた。

かつて紅海交易の要衝として栄えたが、エチオピアとの戦争で大きな被害を受け、多くの建物は半壊したままだ。それでも、街の人々は穏やかで、どこかのんびりしている。

沖合のダフラク諸島には手付かずの白砂ビーチが広がり、シュノーケリングをするとサンゴ礁の間をカラフルな魚たちが泳いでいた。観光客がほとんどいないため、まるで自分だけの楽園のようだった。

世界で最も過酷な鉄道体験?

エリトリアには、かつてイタリア人が建設した「エリトリア鉄道」がある。アスマラからマッサワへと続く山岳鉄道で、今も蒸気機関車が走るという。幸運にも運行日と重なったため、乗車することにした。

ボロボロの客車に乗り込むと、レトロな木製の座席が並び、外の風景はすぐに壮大な山岳地帯へと変わった。急カーブや標高差を駆け上がるこの路線は、「世界でもっとも急勾配な鉄道のひとつ」と言われるだけあり、まるでジェットコースターのようなスリルだった。途中、機関士がスパナ片手に機関車の修理を始めるという珍事件も発生し、乗客全員で笑いながら待った。

エリトリア人の驚くべき親切心

この国で最も印象的だったのは、人々の温かさだった。英語を話す人は少ないが、それでも身振り手振りで親切に道を教えてくれたり、食事を分けてくれたりする。ある日、市場で財布を落としたのだが、気づく前に近くにいたおじいさんが拾い、「あなたのものだろう?」とすぐに返してくれた。

経済的には決して豊かではないが、人の温かさや誇りの持ち方に触れ、「本当の豊かさとは何か」を考えさせられた旅だった。

終章:エリトリアという奇跡

エリトリアは、観光地としての知名度は低いが、その分「発見する楽しさ」が詰まった国だった。ヨーロッパの名残を残す街並み、紅海の静かな楽園、そして何よりも素朴で誇り高き人々。

アクセスは難しいが、もし冒険心があるなら、エリトリアは忘れられない旅になること間違いない。

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